好きな曲とか興味ある出来事とかを追っかけていくと、たまに「死」と遭遇する。
その人が生きていた証に付加えられた近親者や親しい友人が書込む終焉によって読んでる自分は死を認識する。
大体は病死とか交通事故とかの予期しない死らしく、終焉の記号さえなければしばらく更新が滞ってるふつうのサイトに見える。
紙媒体の日記とかの場合、その人が生きていた記録というのはよっぽどメディアとの接点が多い人以外は公開されることもなく朽ちていくモノだと思う。
Webの場合その人の記録がネットの記憶として長く残ることになる。意図的に消そうとする人がいれば急速に、そうでなければゆっくりとその記憶は薄らいでいく。
検索エンジンのキャッシュがWebの物忘れを遅くしているモノだと思う。その人が生きていた記録をWebの記憶として知らない誰かが思い出せる、そんな仕組み。
整然と整理されて使うための「記録」じゃなくて、いつか誰かに思い出してもらうための「記憶」
何となく書いてみただけで落ちはないです。
Webで出逢ってしまった死者の皆様にご冥福を†